小林賢太郎より

“P” as …

 ポツネン"P"ツアー全行程を終え、無事に日本に帰ってまいりました。
初の海外公演でしたが、日本と同じく、納得いく観客の反応を得ることができました。
 笑いにも色々な種類がありますが、僕の目指したいもののひとつに「予備知識がいらない笑い」というのがあります。これは「舞台作品の前に観客は平等であるべき」という思いから及んだものです。初見のお客様も常連のお客様も、同じように楽しんで頂きたい。ひらたく言うと「まんべんなくウケたい」。もちろんエンターテインメントにも料理のように好みがありますから、万人の大好物になれるようなものではない。でも少なくとも劇場に来てくれた目の前のお客様には、もれなく楽しんで頂きたいわけです。
 もうひとつ「古くならない笑い」これも出来るだけ心がけるようにしています。例えば10年以上経っても当時と同じように笑えるコントは、純度が高いというか、本質的な笑いに近いのではないかと思うからです。
「予備知識がいらない笑い」と「古くならない笑い」。このふたつをクリアする笑いには、あるひとつの可能性を感じていました。それは「日本人に限らず、人間は何に笑うのか」に近づけるかもしれない、というもの。言い換えると「笑いに普遍性は存在するのか」。
 「日本人と欧米人とでは笑いの感覚が違う」これは多くの人が言っていることです。もちろん違うところもありますが、重なっているところも多くあると思っています。そして今回、その一部分を確かめるチャンスが来ました。パリ公演とモナコ公演です。
 実際に上演する為に、さらに加える条件がありました。それは「日本語が分からなくても楽しめる笑い」というもの。
 言葉のない笑いというと連想しやすいのは、スラップスティックコメディーとか、軽妙な動きでおどけるクラウンみたいなものかもしれません。しかし、そういうのは僕はあんまり上手ではない。
 今回僕が目指したのは、これまで言葉でつくってきたような複雑な笑いを、言葉なしで成立させる、というものでした。目で見て楽しむその先に、思考でも楽しんでもらいたいのです。まわりからは「小林賢太郎から日本語という武器を奪っちゃ大変そうだね」とか言われました。でも、大変さはいつもとなんら変わりませんでした。日本語は高性能で繊細で、かつ凄く重たい武器です。それを肩から下ろしたことで、かえって身軽に感じたくらいです。
 海外公演を目標にして来たわけではありませんが、まっすぐ積み重ねてきたようにも思えます。
 ラーメンズ第一回公演のときから僕のソロコントコーナーは存在していました。映像化はされていませんが、小さな黒板に絵を描いたら、それが実物になって出てくるコントとか、手相の占い師の手がとれちゃう話とか。手品やマイムをまじえた無言コント。今とあんまり変わってませんね。
 数年前、僕はニューヨークに数ヶ月滞在し、100本を越える舞台作品を観まくっていました。あそこには世界中からエンターテインメントが集まってきます。そのときに掴んだ勘所みたいなものも、今回役に立ったと思います。どんなに遠回りのようでも、探究心に逆らわない行動なら、無駄な事なんてないんですね。
 結果、初の海外公演は大成功しました。パリ公演が始まってから、評判を聞いたフランス人が当日券を求めて大勢並んでくれたとも聞いています。このプロジェクトに関わってくれた皆さんに面目が立つというものです。ただし僕個人としての成功とは「観客動員数」とか「初の海外公演の達成」ということよりも「磨き上げた作品のできばえ」にあるわけです。大事なことは「どこでやるか」より「何をやるか」ですから。そういう意味で、自分でも納得できるクオリティーに達した "P" は成功だと思っています。

 最近、コントやっててよかったって本当に思う。コントが僕を行ったことない街に連れてってくれる。コントが素晴らしい出会いに導いてくれる。今回の海外公演を経験して、ますます探究心に火がつきました。さらなる到達点を目指します。
 あ、そうそう。せっかくこしらえたポツネン "P" を、より多くのお客さんに楽しんでもらいたくて、近い将来改めて日本で上演したいと企んでおります。僕ももっと追い込みたいんです。納得はしてますけど満足はしてませんから。ちゃんと決まったらこのサイトで発表致します。それまでムッシュ・ポツネンとはしばしのお別れ。では、また会う日まで。

小林賢太郎

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